「高次脳機能障害とは、まず周囲がその症状に気づくことが重要です。」
この言葉は、脳外傷サバイバーであり、当事者支援にも尽力されている橋本圭司さんのものです。私はこの一文に深くうなずきました。なぜなら、私自身も「高次脳機能障害のある弁理士」として、同じような課題と日々向き合っているからです。
高次脳機能障害は「見えにくい障がい」
高次脳機能障害は、脳卒中や交通事故、脳炎などを原因に生じる障害で、記憶力、注意力、言語理解、感情のコントロール、実行機能などにさまざまな影響を及ぼします。しかし、その多くは身体のように「見た目」では分かりにくいため、周囲の理解が得られにくく、誤解や孤立につながりやすいのです。
私も脳卒中によってウェルニッケ失語というタイプの言語障害を発症しました。これは「言葉は聞こえているのに意味が取れない」「自分の話す言葉も意図と違う」などの症状があり、話す・聴くの両方に困難があります。かつては特許の明細書をスラスラと書いていた私ですが、今では一文一文に時間をかけて理解・記述しています。
「だからダメ」ではなく「だからこそ光る」
橋本氏は次のようにも語っています。
「高次脳機能障害だからダメ、ということはない。むしろ、ある機能が欠損したことで、反対側の脳が活性化する。だからこそ、才能が際立つこともある。」
この視点はとても重要です。高次脳機能障害は、ある機能の低下を伴いますが、それを補おうとする脳の適応力、いわゆる「脳の可塑性」は驚くべきものがあります。私は以前よりも、相手の感情や視線の微妙な変化に敏感になりました。これは言葉に頼らない「非言語的な理解力」が高まったからかもしれません。
また、昔よりも「説明をシンプルに」「視覚的に」伝える工夫をするようになりました。これは弁理士としての仕事において、クライアントや審査官により伝わりやすい資料を作ることにもつながっています。つまり、「失った能力」ではなく、「変化した能力」と考えることで、新たな道が見えてくるのです。
当事者だからこそできること
「なので、当事者からこそできるいうこともあります。」
私は、まさにこの立場で日々活動しています。たとえば、私は現在、失語症やてんかん、慢性腎臓病の方々を支援する特許を考案し、実際に複数の出願を行いました。これは、自分自身が当事者であるからこそ見える「困りごと」や「支援のニーズ」を出発点にしたものです。
他人が「想像」で作るのではなく、当事者が「実体験」で編み出した技術は、より現場に即した形で社会に役立つと私は信じています。
「できること」を積み重ねる先にある居場所
橋本氏はこう結んでいます。
「できることをできるだけやれば、必ずふさわしい場所が見つかる。」
この言葉は、高次脳機能障害を抱える私の心を深く励ましました。失った機能や制限ばかりに目を向けるのではなく、「いまの自分にできること」を少しずつ積み重ねること。それこそが、新しい生き方の出発点だと思います。
私は失語症のため、電話はできません。でも、メールやテキストでは伝えられます。長時間の会議は難しくても、短時間で集中してアイデアを出すことは得意です。スムーズな言語は出てきませんが、「視点」は鋭くなりました。
そして、こうしてnoteで「書く」ことで、自分の考えを社会に発信することも可能です。もしかすると、これは障害を負う前の自分にはできなかったことかもしれません。
おわりに:視点が変われば社会も変わる
私は「高次脳機能障害をもつ弁理士」という、やや珍しい立場かもしれません。しかし、それは「弱さ」ではなく「可能性」だと信じています。支援法や制度はまだ十分ではありませんが、だからこそ、こうした当事者の声が求められていると感じます。
「視点が違う」からこそ、気づける問題があります。「視点が違う」からこそ、生み出せる価値があります。
私たち一人ひとりが「できること」に目を向けて行動すれば、社会は少しずつ変わっていく。そのきっかけを、私たち当事者自身が作ることができるのです。
コメント