~「火元」と「燃え広がる環境」~ 最新の治療戦略とは
脳梗塞や頭部外傷などの脳損傷から時間が経ち、一見落ち着いたように見えても、その後に発症する「脳卒中後てんかん」は、患者さんとご家族を大きく悩ませる問題です。
このシリーズの第1、第2回で解説した「神経回路の破壊」と「グリア細胞による環境悪化」は、てんかん発症の土台となります。今回は、この土台の上でてんかんがどのようにして起こるのか、そして従来の薬と未来の治療戦略について解説します。


てんかん発作のメカニズム: 「火事」に例えると
脳損傷後のてんかんは、ひとつの「火事」に例えるとわかりやすくなります。
1. 【火元】神経細胞の異常興奮
- 何が起こる?
損傷でバランスを崩した神経回路で、一部の神経細胞が突然、過剰に、同期して興奮し始めます。これが「異常放電」という火元です。 - 原因は?
抑制(ブレーキ)をかける神経細胞が弱体化し、興奮(アクセル)系が優位になるためです。前回までのおさらいですが、これが発症のきっかけ(第一段階) です。
2. 【燃え広がる環境】グリア細胞の機能不全
- 何が起こる?
ここが最大のポイントです。活性化したグリア細胞が、以下のようにして火事を大きくする「燃え広がりやすい環境」を作ってしまいます。- アストロサイトの機能低下: 興奮性物質であるグルタミン酸の回収ができなくなり、火元にどんどん「燃料」を投げ込んでいる状態です。
- 慢性炎症: ミクログリアが出し続ける炎症性サイトカインが、脳内を「燃えやすい乾いた状態」にします。
- 瘢痕(はんこん): アストロサイトが作る瘢痕組織が、異常な回路のショートカットとなり、火の回りを早くします。
- まとめ
てんかんは、「神経細胞という火元」が、「グリア細胞が作った燃え広がる環境」によって大規模な火事(発作)に発展する現象なのです。
現在の治療: 「火元」を消すための消火器
現在、臨床で主流の抗てんかん薬は、ほとんどがこの「火元(神経細胞)」を直接鎮めようとするものです。これは非常に合理的なアプローチです。
主な薬剤とその作用(神経細胞への直接作用)

これらの薬は多くの患者さんで効果を発揮しますが、場合によっては効果不十分や、眠気やめまいなどの副作用が問題となることもあります。
未来の治療戦略: 「燃え広がる環境」そのものを変える
現在、研究が進められている次の世代の治療は、「火元」だけでなく、「燃え広がる環境」そのものにアプローチすることを目指しています。つまり、グリア細胞をターゲットにした治療です。
グリア細胞を標的とした新しい薬の可能性
- アストロサイト標的療法
- 目的: グルタミン酸トランスポーターの機能を向上させ、シナプス間の余分なグルタミン酸(燃料)を効率よく掃除できるようにする。
- 期待される効果: 興奮性が持続する状態を解消し、発作の閾値を上げる。
- ミクログリア標的療法
- 目的: 有害な炎症を促進する「M1型」ミクログリアを、修復を促す「M2型」へと切り替える薬剤の開発。
- 期待される効果: 脳内の「慢性炎症状態」を鎮火し、神経細胞を過敏にさせる根本原因を取り除く。
- 炎症性サイトカイン阻害薬
- 目的: ミクログリアが放出する特定の炎症性物質をブロックする。
- 期待される効果: 炎症の連鎖反応を断ち切る。
iPS細胞治療のもう一つの役割
iPS細胞から作った神経前駆細胞を移植する治療は、失われた細胞を補うだけでなく、これらの細胞がBDNFやGDNFなどの栄養因子を分泌することで、ミクログリアをM2型に誘導し、炎症環境を改善する効果が期待されています。つまり、未来の薬剤治療とiPS細胞治療は、「環境を改善する」という共通のゴールを目指しているのです。
まとめ:現在と未来の治療の協調
脳損傷後のてんかん治療は、新たな段階に入ろうとしています。
- 現在: 神経細胞の異常興奮を直接抑制する抗てんかん薬が治療の中心です。
- 未来: グリア細胞が作る「発症しやすい環境」自体を是正する新しい薬剤や細胞治療が加わり、現在の治療では難しかった症例にも光明がもたらされると期待されています。
てんかんとの付き合いは長くなることもありますが、科学の進歩は着実に新たな選択肢を生み出しています。現在の治療でコントロールを目指しながら、未来の治療に希望を託す。その両方の視点を持つことが、回復への道筋を照らす光になるのではないでしょうか。
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