はじめに
結論から言えば、プーチンの継戦は「体制維持」と「自らの権力・遺産の防衛」という二つの軸に集約されます。これは個人の気質だけでは説明できません。国内統治の仕組み、法的・宣伝的な既成事実、戦時経済、そして交渉術としての“持久戦”が、互いに噛み合って継戦の合理性を生み出している――その構図を整理します。
1) 体制(=自分の地位)を守る
ロシアの長期政権にとって、「敗北の受容」や「大幅な譲歩」は正統性を直撃します。加えて、国際刑事裁判所(ICC)は2023年3月にプーチンへ逮捕状を発付しました。権力を失えば個人的な法的リスクが急増する以上、弱さを見せる政治的インセンティブは乏しくなります。権力の延命と自己保全が、継戦を選びやすい動機を与えるのです。 国際刑事裁判所+1
2) 物語(ナラティブ)の固定化
プーチンは「ウクライナは歴史的にロシアと一体」「NATO東方拡大の阻止」という物語を、国内外向けに再生産してきました。国家の自己像を支えるストーリーは、政策を方向付け、路線転換のコストを跳ね上げます。物語を引っ込めることは、政権の自己否定に近い。ゆえに継戦は“物語の整合性”を守る行為でもあります。 クレムリンMirage News
3) 「法的既成事実」による後戻り不能
2022年9月、ロシアはドネツク、ルハンスク、ザポリッジャ、ヘルソンの4州の併合を国内的に宣言しました(国際法上は広く否認)。この瞬間から、これらの地域は対内的には「ロシアの領土」と位置づけられ、引き渡しは「領土放棄」に等しくなりました。撤退の政治コストは極大化し、継戦の誘因は構造化されます。 クレムリンMirage News
4) 「時間は自分の味方」という計算
モスクワは、西側の支援疲れやウクライナの人的・装備的消耗が進むほど相対的に有利になる、という持久戦のロジックを手放していません。軍事情勢の日々の評価でも、ロシア側は圧力の維持を前提にした行動を積み重ねています。世論面でも、戦時下の調査にバイアスはあるものの、軍事行動への支持が広範に観測され、停戦志向と勝利期待が同居する“許容的な内政環境”が続いています。 Institute for the Study of Warlevada.ruシカゴグローバルアフェアーズカウンシル
5) 経済が“戦時仕様”で当面は持つ
2023〜2024年のロシア経済は軍需主導で押し上げられましたが、2025年に入って伸び率は鈍化。それでも直ちに崩壊する局面ではなく、短中期の継戦に必要な「最低限の耐久性」は保たれています。国防費は2025年予算でGDPの約6.3%規模とされ、景気下支えの一方、インフレ・金利高・民需の圧迫という副作用も増幅しています。政権はこの“戦時景気”に依存しつつ、社会の不満増大を治安・宣伝で抑え込む構図です。 Reuters+1IMF
6) 交渉条件の最大化(強要型の交渉観)
ロシア側の基本要求は、NATO拡大の否定、対露制裁の緩和、占領地の地位固定など、骨格がほぼ不変です。戦場での圧力をテーブルに持ち込み、相手に譲歩を迫る「強要型の交渉観」を一貫して示してきました。2025年以降の外交局面でも、前線の凍結と引き換えにドンバス全域の割譲やNATO制約を求めるような案が浮上・報道され、要求の硬さが再確認されています。 Reuters+1フィナンシャル・タイムズ
7) 情報統制・弾圧という“装置化”
戦争批判を「軍の名誉を毀損」として処罰しうる法令や、「虚偽情報」流布罪の拡大によって、反戦・反政府の言論は重大なリスクを伴います。これは単なる付随現象ではなく、撤退不能性を強化する政治装置です。批判が可視化されなければ、政策転換の圧力は高まりません。政権はこの装置を通じて、継戦に対する国内の許容度を維持しています。 ヒューマン・ライツ・ウォッチ+2ヒューマン・ライツ・ウォッチ+2
8) まとめ:継戦の「合理性」はこうして組み上がる
以上を重ねると、プーチンの継戦は次の合成結果として説明できます。
- イデオロギーと物語の固定化:国家像の維持が路線転換を高コスト化。 クレムリン
- 法的既成事実の鎖:併合宣言が「撤退=領土放棄」に転化。 クレムリン
- 戦時経済+持久戦の期待:短中期の耐久性を確保しつつ、外部の支援疲れを見込む。 ReutersIMF
- 交渉の強要ロジック:前線の圧力で最大限の譲歩を引き出す。 Reuters
- 情報統制と弾圧:反対の可視化を抑え、政策転換圧力を希薄化。 ヒューマン・ライツ・ウォッチ
ここに個人のリスク計算(権力喪失=法的追及・安全の脅威)が重なることで、継戦は“非合理な暴走”ではなく体制維持の合理的選択として選ばれやすくなります。 国際刑事裁判所
9) 今後を読むためのチェックポイント
(a) 経済の息切れ度合い
成長の鈍化、インフレ・金利高、労働力の逼迫がどこまで民生を圧迫するか。防衛支出のGDP比が高止まりするほど、民需を圧迫して政治コストが積み上がる一方、治安・宣伝支出も拡大しやすいというジレンマが続きます。 Reuters+1
(b) 外交カードの再配列
交渉の“入口”を停戦ではなく包括合意に置く手法は、相手に重い決断を迫る一方で、合意失敗の責任を外部に転嫁しやすい。2025年の首脳外交でも、この姿勢が再演されました。 フィナンシャル・タイムズ
(c) 国内世論の「二重性」
「勝利期待」と「停戦志向」が同居する世論は、継戦も妥協も正当化しうる“曖昧な資源”です。質問の仕方や状況次第で態度が振れやすく、政権はここを巧みに操作します。外形的な支持率の数字だけではなく、問われ方や恐怖の効果を丁寧に読む必要があります。 levada.ruシカゴグローバルアフェアーズカウンシル
おわりに
「なぜプーチンは戦争を続けるのか」という問いへの答えは、単純な性格論や年齢論では解けません。物語・法的既成事実・戦時経済・情報統制・交渉術が組み上げる“撤退しにくい政治構造”こそが、本質です。終戦への現実的な道筋は、この構造のどこに“可動部”を作るかにかかっています。制裁や安全保障の枠組み、戦場での均衡、国内言論空間の変化――いずれも一足飛びでは動きませんが、組み合わせ次第で「体制維持の合理性」を別方向へ再設計できる余地は残されています。継戦のロジックを正確に見極め、撤退可能性のデザインを積み上げること。それが、長期化した戦争を終わらせるための最も現実的なアプローチです。
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