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「ルールを守れ」と言う前に──備蓄米問題における“おじいさん政治”の限界

目次

要約

自民党の野村元農相が、新任の小泉進次郎農相による備蓄米の売却決定について「党の部会に諮らなかった」と批判した。しかし、このような批判は的を射ているのだろうか?本記事では、「誰が言うか」と「何を言うか」を分けて論じつつ、そもそもの問題の本質がどこにあるのかを検証する。結論として、「旧来の政治家による形式的な手続き批判」は、現代的な課題対応に対して的外れであるということを、論理的に示す。


1. 問題の背景――備蓄米と随意契約の是非

日本では、災害や緊急事態に備えて「備蓄米」を一定量保有している。これらは古くなりすぎる前に、定期的に入れ替えが必要で、民間への売却などが行われてきた。

今回、小泉進次郎農相が打ち出したのは、その備蓄米をスーパーなどに随意契約で売却するという方針だ。狙いは「価格の安定化」と「フードロスの削減」である。ところがこれに対し、野村元農相が「農林部会に諮らず勝手に決めた」と批判したのである。


2. 「手続き論」ではなく「結果責任」で語るべき時代

野村氏の批判の焦点は「部会に諮らなかったこと」、つまりプロセスの形式である。一方で、小泉農相が重視しているのは、「消費者の米価格の安定」と「無駄な備蓄米の有効活用」、つまり実質的な成果である。

この対立は、「昭和型政治家の形式主義」と「令和型リーダーの成果重視」の違いとも言える。以下に対比してみよう:

視点野村元農相小泉農相
重視すること党内手続き、部会への相談実行力、社会課題へのスピード感
判断基準「誰に相談したか」「何をしたか」「誰のためか」
想定対象党内の利害関係者国民、特に消費者

このように、焦点の置き方が全く異なる。国民から見れば、「ルールを守る」ことよりも、「どうやって暮らしが良くなるか」の方が重要なのは明らかだ。


3. 「おじいさん達」はなぜ批判されるのか?

「この件に関してはおじいさん達は口を出さない方がいい」という意見には、単なる世代批判ではない、構造的な問題提起がある。

多くの“旧来の政治家”は、以下のような前提で物事を見ている。

  • 党内手続きが最優先(=政局の論理)
  • 消費者の目線よりも農家の組織票
  • 過去の慣習が今も有効だと思っている

しかし、現実は以下のように変化している。

  • 食料価格の変動は、都市部の家計に直撃する
  • SDGs的な観点からも、フードロス削減は急務
  • デジタル社会では、スピーディーな意思決定が求められる

つまり、「誰に相談したか」よりも、「誰の生活がよくなるか」が問われる時代に入ったのだ。


4. 「古古古米が動物の餌にならなくてよかった」とは?

この一文に込められているのは、生活者のリアルな声である。都心部に住む消費者にとって、古古古米が税金で保管され、最終的に動物の餌になるくらいなら、「人間が食べられるうちに流通させた方がいい」と考えるのは自然だ。

この考え方には、次のような価値観が含まれる。

  • 資源の無駄遣いに対する拒否感
  • 安価で安全な食料の入手を望む市民感情
  • 農業政策の透明性と合理性への期待

「古米が流通するのはよくない」というのは農業利権側の論理であり、現代の多様な価値観とは乖離している。


5. 本当に「自分がやってきたこと」の反省は不要なのか?

野村元農相自身が過去に行ってきた農政には、備蓄米を過剰に保有したり、需給調整に失敗して価格暴落を招いたりした経緯がある。つまり、今回の問題の一因をつくった側とも言える。

であれば、今必要なのは「後輩への説教」ではなく、「自分たちの時代の失敗の検証」ではないだろうか。


6. 若手大臣の“暴走”か、“改革”か?

小泉進次郎氏は、過去にも「レジ袋の有料化」などで物議を醸した。確かに、やや唐突で独断的に見えることもある。

しかし一方で、今の日本には“空気を読まずに変える人”が必要だということも、また事実である。

  • 自民党の硬直化した手続き文化
  • 高齢化する議員構成
  • 過去に縛られた政策思考

こうした状況を打破するには、多少の“越権”があっても、社会課題に正面から取り組む勇気の方が大事なのではないか。


7. 結論:ルールより生活者のリアルを見よ

野村元農相の発言は、「組織の論理」に基づいた典型的な“内向き”の批判である。一方、小泉農相の判断は、国民生活や地球環境という“外向き”の視点に立っている。

政治家の役割とは何か?

それは「誰に相談したか」ではなく、「誰の暮らしを良くしたか」で評価されるべきである。

したがって、備蓄米問題においては、「若手大臣がルールを破ったかどうか」ではなく、「古古古米を人間の口に届ける工夫をした」という点で評価されるべきであり、旧来の政治家による“手続き批判”は、もはや時代遅れなのである。


学びと新しい視点

  • 政治判断は「形式」よりも「実質」で評価されるべき
  • 高齢政治家の「慣習」よりも、生活者の「今」が優先されるべき
  • 備蓄政策にはSDGsやフードロス削減など、現代的視点が求められる
  • 若手政治家の“突破力”は、時に古い制度に風穴を開ける
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