2030年、日本は認知症523万人時代に突入する
高齢化が加速する日本で、最も深刻な社会課題の一つが「認知症」です。厚生労働省などの調査によれば、2030年には日本で推定523万人が認知症を発症すると見込まれています。これは高齢者の6人に1人が認知症となる計算です。
しかし、現時点では根本的な治療法はなく、症状が進んでから診断・対応されるケースが多いため、本人にも家族にも大きな負担がのしかかります。
そんな中、AIと脳画像診断の融合によって、早期発見・予防の道が切り開かれつつあります。それが「脳ヘルスケア」という新しい概念です。
「脳ヘルスケア」とは? ──“脳の状態”を可視化する技術
これまでの健康診断では、血圧・血糖値・コレステロールといった身体の数値は測定されても、脳の状態は「見えない」ままでした。しかし、AI技術とMRI解析を用いることで、脳の構造変化や機能低下の兆候を数値化・可視化できる時代が到来しています。
その中心にあるのが、「海馬」の計測です。
海馬──記憶と空間認知の司令塔
海馬(かいば)は脳の奥にある小さな器官で、記憶の形成や空間認知を担う重要な部位です。認知症、とくにアルツハイマー型認知症は、まずこの海馬の萎縮から始まります。
- 健常な60代男性の海馬体積:7,649mm³(海馬年齢50代後半)
- 認知症を患う60代男性の海馬体積:5,487mm³(海馬年齢70代後半)
このように、同じ年齢でも海馬の状態に大きな個人差があることが分かります。しかも、海馬は加齢とともに自然と萎縮していく傾向があり、日常的な生活習慣がその進行に大きく影響することも分かってきました。
私の体験──脳の病と向き合う人生
私自身、2019年に脳梗塞を発症し、それに伴って高次脳機能障害と失語症を発症しました。左脳のダメージにより、言語理解や記憶の処理に大きな困難を抱えるようになりました。
しかし、その後のリハビリや生活の工夫、さらには最新技術への理解を通じて、少しずつではありますが機能を回復し、現在も社会生活を送っています。
弁理士としての活動も継続し、これまでに障がい者支援に関する5件の特許を自ら構想し、実際に特許庁へ提出しました。失語症や高次脳機能障害、てんかん、慢性腎臓病といった、自らの経験に基づいたアイデアを形にしたのです。
脳は損傷しても終わりではありません。回復可能な力を秘めています。私の経験がそれを物語っています。
AIが支える“見える化”と“戻せる”脳
脳の萎縮が始まっても、もう手遅れとは限りません。AIを活用した画像解析によって脳の状態を早期に把握し、適切な行動変容を促すことで、萎縮した脳もある程度機能回復が可能だとされています。
この領域で注目を集めているのが、**スタートアップ企業「スプリンク(SPLINK)」**です。
スプリンク──脳の未来を可視化する企業
スプリンクは、キーエンス出身で最年少トップセールスだった青山裕紀CEOが、父の脳疾患をきっかけに2017年に創業した医療ベンチャーです。ICT創出支援プログラムから3,200万円の出資を受け、脳の画像解析と行動変容支援の統合ソリューションを開発しました。
主な特徴:
- MRI画像から海馬体積や脳年齢をAIで自動算出
- 10分程度の認知機能テスト(計算、空間把握など)
- 生活習慣(食事、運動、喫煙など)との連動分析
- 脳の状態に合わせた個別提案(脳トレ・生活改善)
これまで100以上の医療機関に導入されており、2024年からは「認知機能テスト」が健診項目に標準化されました。
行動変容を促す鍵は「自分だと化」
医療現場で分かってきたことがあります。それは、「認知症のリスクがあります」と言われても、多くの人が現実味を感じず、生活を変える動機につながらないということです。
しかし、
「あなたの脳にすでに変化の兆候があります」
というように、“現在進行形”でフィードバックすることが行動変容の鍵になるのです。
これをスプリンクでは「自分だと化」と呼び、40〜50代の脳の変化を具体的に見せることで、食事や運動の改善、脳トレの開始などにつながる仕組みを構築しています。
海外展開と日本の優位性
スプリンクは日本国内だけでなく、アメリカ、中東、東南アジアへの海外展開も視野に入れています。特に注目されているのは、
- 日本が世界有数の高齢化先進国であり、豊富なデータと臨床実績を持つこと
- MRI機器の普及率が非常に高く、AI診断との親和性が高いこと
これにより、日本発の脳ヘルスケアモデルが世界標準になる可能性を秘めています。
「脳は戻せる」ことを示す研究も
慶應義塾大学医学部の岸本泰士郎教授は、軽度認知障害(MCI)から回復した事例に注目し、日立グループとの共同研究で以下のアプローチを進めています。
- AIで個人の認知機能の未来を予測
- その人に最適な「脳トレ」「食生活」「運動習慣」を提案
- 60〜70代でも、適切な対応で一定の改善が得られる
これらの技術は、2027年の全国的実用化を目指しており、パーキンソン病や希少疾患への応用も視野に入っています。
まとめ:脳の病気のない世界へ
認知症はもはや“避けられない老化現象”ではなくなりつつあります。
「早く気づけば、手が打てる」
「正しく見れば、生活を変えられる」
「そして、脳はある程度まで戻せる」
そうした可能性が現実になりつつある今、脳の状態を知ることが自分と家族の未来を守る第一歩になります。
脳ヘルスケアは、これからの健康管理の柱となるでしょう。そして、病気の“早期発見”を越えた、“未来の健康”を設計する手段へと進化しています。
スプリンクのような挑戦者と、岸本教授らの先端研究者、そして私のように脳疾患を経験しながらも社会復帰を目指す当事者が、力を合わせることで、「脳の病気のない世界」はもはや夢ではありません。
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